映画「キューティー・ブロンド」
本日Ariana Grandeの新曲thank u, nextのPV公開&リリース。早速観てみたけど、アリアナのキュートなワールド全開ですごい元気でる。
Ariana Grande - thank u, next - YouTube
可愛すぎる。
God is a woman、Dangerous Womanといいダサい言い回しで申し訳ないがガールズパワー満開って感じ。ちなみにPV中ガールズ映画のオマージュがたくさん出てきます。
後半の、ピンクのスーツを着たアリアナやネイルサロンに行くアリアナ。これは2001年公開、リース・ウィザースプーン主演の映画『キューティーブロンド』からのオマージュ。
どんな映画かと言うと、
カリフォルニアでハンサムな恋人ワーナーと結婚を夢見てセレブな生活を送る主人公のエルが、冒頭で「真面目になりたい」という理由でワーナーに振られる。ワーナーがハーバード大学の法科大学院へ進むと知って、エルは彼を取り戻すために猛勉強しハーバードへ。ロス育ちのハデハデお嬢様がロースクールに入るというお話。
主演のリース・ウィザースプーンも、このことをtwitterで呟いています。
Reese Witherspoon on Twitter: "Thank u, next 👏🏼💖 @ArianaGrande #ElleWoodsForever… "
この映画、邦題は「キューティーブロンド」になっていますがオリジナルタイトルはLegally Blonde。つまり「法的、法律を学ぶブロンドガール」というような意味。
失恋を機にロースクールに入ったエルは劣等生で怠け者、そもそも大学に馴染めません。しかし、元恋人ワーナーに「君が法律事務所のインターン生に選ばれるなんて無理」と見下された発言をされたことから勉強に奮起。教授からのセクハラで一度は西海岸に帰ることを決意するも、めげずに殺人事件の弁護に立ち向かいます。
エルの目標が、次第に彼氏を取り戻す→優秀な弁護士になる、へとシフトチェンジしていくんですね。爽快なのは、法廷で勝利を収めたエルに惚れ直したワーナーが再度告白をしてきた際に、エルは「もっとステップアップしたい」、自分が振られたのと同じ理由で彼を振ります。
アリアナの今回の新曲、thank u, nextは、「はい、いままでありがとね、さあ次」っていう明るくてガールズパワー満載のお別れソング。
映画「キューティーブロンド」のように、お別れが良い方向へ向かう歌。アリアナがこの映画をオマージュとして使用したのも分かる。
石山さやか「サザンウィンドウ・サザンドア」
特に何か論じるわけはないですが、この漫画がすごくいいというお話。石山さやかさんの、団地を舞台にしたオムニバス短編集コミック。
『プリンセスメゾン』、『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』など不動産や家にまつわるコミックが割と好きで読んでます。
なんかこう、家とか近所とか結局落ち着ける場所が舞台のミニマリズム的なコミックって雰囲気が好きです…!
1つの団地を舞台に、友達同士のちょっとしたいざこざ、若い夫婦の喧嘩、おばちゃんと男子高校生の不思議な友情(笑)、町内会でのイベント、終電を逃した若いサラリーマンなど。
登場人物とテーマも、ほんとにその辺にいそうな感じにあったかみがあってほっとする漫画です。
忙しくて、ここのゆとりがない人にこそ読んでほしい漫画ですおすすめ!
ダイアンに頑張って欲しいっていう個人的な話
お笑いコンビ、ダイアンが東京進出したので是非とも頑張ってほしい。
というか、そもそもお笑い自体がブームも10年前から比べると下火なので西にいようが東にいようが上手く活躍できるか微妙なところではある。
でも、このタイミングで東京にチャレンジすることがかなり価値あることなんじゃないかなと思う。
東京進出のタイミング
お笑いコンビ東京進出のタイミングは、
早い=売れる前か、遅い=十分売れた後か、に二極化しがちでノッてきたところで進出というのが珍しい傾向にある気がする。
例えば、前者に該当するのがギャロップ、ジャルジャル(彼らはレギュラー番組の関係で徐々に、かも)最近だとコマンダンテ。
後者は、千鳥、ブラックマヨネーズ、そしてダイアン。
この中間、ちょうどメディア露出が増え始めたくらいで進出したのがNONSTYLEくらいなんじゃないかなと思っている。
※個人的な感覚です。
在阪局のレギュラー番組を抱えたままでは東京に行けない。NONSTYLEのように「ちょうど活躍し始めてから」進出というのはなかなか難しいのが実情。レギュラーをたくさん抱える前orしっかり売れていくつか番組を手放してから、が定型になってしまうのでしょう。
それで言うと、千鳥は本当に長かった。
私の記憶だと、2005、6年くらいにはもう大阪でもそこそこお笑いファンなら十分名前も顔も面白さも知っていて、元旦のなんばグランド花月には大御所と肩を並べて演者として出演する西のエースだった気がする。
もちろん、2012年のピカルの定理レギュラー決定前後あたりで東京での活躍に苦労はしてるものの、あの時でもお笑いファンからすれば千鳥の東京での活躍は遅すぎるくらい。15年の時を経て女子高生や一般のお笑いウォッチャーに人気というのは、東京の方にはなかなか違和感があるかもしれないが、ほんっっっとうにやっと!、なのだ。
松本人志が「関西人は2度売れなあかん」と言ったのは、芸人だけでなく関ジャニ∞の横山くんもTVで言及してたくらい有名。2度売れなあかん、この言葉の1度目と2度目はまったく異なる。2度目は、失うものがあるからだ。
話が随分飛んでしまったが、ダイアンが東京進出したことを大きく評価したいのは、関西での活躍を捨てることは大きいリスクだから。
現に、関西のお笑いファンは大好きだが東京では全くと言っていい程見ないお笑いコンビも多い。それはそれで素敵なことだけれど、寂しさもある。海原やすよともこだとかロザンだとか、もっと東京の人に良さを知って欲しいという気持ちもある。
(特にロザンに関しては、売れることというよりも2人でお笑いをやる、が目標という感があるので今後も東京進出はなさそう。東京では、ロザンといえばクイズのイメージが強いが関西では立派な芸人だということを個人的には知って欲しい…!)
2008年あたりのお笑いブーム時と比べて最近はあまり感じない「芸人さんのハングリー感」をダイアン、特に津田さんからは感じてとても素敵だなと思う今日この頃です。
そういえば、2007年のM-1グランプリ決勝で「ツッコミ(津田さん)が濱田に似てる」と松本人志さんが言ってました。確かにキレてるどつき系だがなんとなくセンスあるのが津田さん。
一方で西澤さんは、いつだったかかなり前のアメトーークの「東京に出てきたいけど芸人」で「浪速の笑いなんてない」と自虐的に言ってたのが西を背負ってる感が無くて淡々と、飄々としてる部分が意外と関西よりも東京でシュール売りできるのでは?と思ってて好きです。
長くなってしまったけどダイアン応援したい。
映画「帝一の國」
演繹的な生き方とは
原作は読んでないのですが、映画版。
主人公赤場帝一は、将来は内閣総理大臣となり自分の国を作るという確固たる夢がある。
舞台となる海帝高校は、全国トップクラスの男子校。生徒会長になることができれば、政界の有力派閥に入ることができるため、将来の出世は確約される。
生徒会長になるためには、まずはクラス長になり評議会のメンバーになる。そして、次年度の生徒会長を決める生徒会長選においてどの先輩の派閥につくか。これが自分自身が生徒会長きなれるかどうかの、大きな鍵になる。
生徒会長の座を虎視眈々と狙うライバル達との抗争、生徒会長選挙への策略がテンポよく展開する。
帝一の生き方は、超演繹的。
つまり人生を夢から逆算してるということ。
目標のための手段を割り出して、実行。
つまり、何か現状から手探りで目標や課題を探していく帰納的な生き方ではなく、確固たるゴールに向かって努力する。 理にかなっているし無駄がない。
国家政治も会社経営も、根本はこの方法。
ただ、この生き方には1つ欠点がある。
信じて突き進んでいたその目標に疑問を持ったり、揺らいだりした時の解決策がない、ということ。
作中、帝一は彼女の美美子に、「自分の国を作ってどうするの?」と問われる。帝一は、うまく答えることができずに、目を背ける。(のちに明らかにはなるが)
何のために?が揺らぐと、
何に向かっているのか?
目指していたものが何なのか?
分からなくなってしまう。
映画の中盤では自分の人生を導き、絶対的な存在であった父が賄賂疑惑で留置される。(これはライバルの奸計だが)
この一件で、生徒会長選で自分の派閥の勝利に息巻いていた帝一は完全にやる気を無くす。
それまで、生徒会長になるという目標を与え、それを全力でサポートしてきた父の逮捕。
絶対的な存在が崩壊。帝一は生徒会長選直前であるにもかかわらず、家で抜け殻のようになってしまいます。
父と留置所で対面した帝一は、
そもそもどうして自分の国を作りたかったのか?
を、語り出す。(とても意外な理由です)
「何のために?」を見失わないこと。
映画ではお決まりのパターンだけど、これがテーマ。
この映画、政治の縮図だなって思うのです。
・イメージ戦略が重要
・賄賂が身を滅ぼす
・有利な派閥に属するという絶対条件
・最終的に人望が勝利
国家政治にも言えるキーポイントが散りばめられています。
この映画と実際の国家政治に共通する最大のポイントが、
この「目標の再確認の必要性」かもしれない。
政治も、本来は演繹的なものだけど、
もっと、何のための政治なのか?を問いただせよ、という皮肉がこめられてるのかも。
女性に消費されるマッチョな世界観
『帝一の國』には、驚くほどに女性登場人物が出てきません。
いや、出ては来るんだけど、活躍しません。
帝一の母と、彼女の美美子くらい。
帝一の母は、元ピアニスト。
その影響で帝一にはピアノの天才的な才能か有りますが、
父は「ピアノのせいでなよなよしたやつになった」と、男性的な価値観を押し付けて批判します。最終的に帝一は、ピアノを葬り去って生徒会長になることに邁進するのです。
美美子に関しても、付き合うことになったきっかけは描かれていないものの、
彼女は帝一のピアノを聞きたい、と何度も言いますが、帝一は聞き入れず美美子には、とにかく生徒会長選への意気込みを一方的に語る、というようなシーンが大半を占めます。(ちゃんと会いに行っているところが可愛らしいですが)
つまり、この映画は超男性優位的でセクシュアリティの二極化が恐ろしく進んでいる内容。
ただ面白いなと思うのは、
「男子校の生徒会長選挙」
を、
「新進気鋭の若手俳優たちが様々なキャラ揃いで演じる」
こと。
ここまでマッチョな世界観の映画が、
演者だけで言えば完全にターゲットが女性。
これが、なんかすごく面白いなと思うのです。
阿久悠「無名時代」
集英社から新装で出版された、
阿久悠の自伝的小説「無名時代」。
時代を読み取る
戦後の好景気が終わった日本。
今で言う就活中、の文学部生、芥洋介。
文学部という実学から乖離した学問を専攻。
少しでも関連性がある業界の出版やマスコミを志望するも、高倍率で推薦ももらえない。
最後の望みを賭けた広告業界の入社試験。
文学部の「就活」に対する悲哀って、昔も今も変わらないんだな。
入社試験の課題は、「週刊朝日、アサヒ芸能、女性自身の企画を考えよ」
これをスイスイと片付けていく主人公の姿に阿久悠の時代感覚への鋭さがありありとわかる。
時代を読み取って、コンテンツとしての面白さ、に結びつける思考過程、プロセス。
はじめに、時代に沿ったマテリアル、時事問題を並べて、
読み物として面白くするために流行の映画や曲のタイトルとかけあわせていくっていうセンスと敏感さ。
90年代生まれなので、
なんだっけ、あの犬のイラスト描く人が阿久悠を演じてた自伝ドラマと、
こないだの24時間テレビの亀梨くんのドラマと、彼の作詞曲でしか知らない。
前者のドラマの中で、ピンクレディの「渚のシンドバッド」作詞シーンで、「ディズニーランドみたいなワクワク感を取り入れたい。」
という台詞が印象的だった。
「ここかと思えば、またまたあちら浮気な人ね」の、パラダイス感。
縦横無尽にビーチでナンパする男と、彼に翻弄される女(局自体はリズミカルで明るい)を通してカラフルさと楽しみ、ドキドキがぎゅっと凝縮された光景が浮かんでくる。
ディズニーランドの色とりどりのアトラクション(当時のものは知らないが)、アメリカ資本主義的な娯楽の輸入品がぎゅっと凝縮された感じが「渚のシンドバッド」と共通してある気がする。
(渚のシンドバッドとディズニーの話は、あくまでもドラマの台詞だけで実話じゃないのかもしれない)
その時代の、
いくつかの事物、マテリアルを結びつけて
同一の現象を見出す。
それを面白く言語化する。
そのセンスがありありと伝わってくる。
女子大生のとの不安定な同棲生活が読んでいてつらい
私が女性性だからかもしれない。
主人公と交際している女子大生、鳩村圭子の描写が多くある。
読んでいてなんだか、つらくて、じれったく思うのは、
彼女が主人公に大切にされているんだか、されていないんだから、いまいち、というかさっぱり分からない。
彼女を邪険に扱うのに、振られれば落ち込む。
彼女が再び姿を現しても、さして喜ばない。
だけど一緒に温泉旅行に行ったり、看病してくれたら愛おしく思うのに、
彼女の親に会うのは拒否。
しかも、結婚しないと言い切る。
不安定過ぎる関係性が読んでいてつらいので、何か不安定な関係を抱えている人には、この小説はおすすめしない。
彼女は「気まぐれでエキセントリック」と表現されているが、お前の方が気まぐれだろうが、と思ってしまう。
もはや、
主人公が気まぐれなので、それに振り回されまいと彼女が余計情緒不安定さを持ってわざと気まぐれに振舞っているのではないかと思いたくなる。
仕事で大胆さやセンスを発揮してるんだから
プライベートは堅くてもよくないか??
と、思ってしまう。
余計なお世話だけど。
婚前の同棲生活が、社会に受容されたのがこの辺りの時期だからなのか、
強調してその不安定さを書いたのかもだけど、
読んでいて心地の良いものじゃなかった。
阿久悠はサディスティックな女性が好きだったのか
女に振り回されるのが好きだったのではないか?
好き、とまでいかなくても、願望として心の中にあったのではないか?
あんまり創作物と作家自身の性格を結びつけるのは良くないけれども、なんとなくそう思う。
和田アキ子の「笑って許して」でも、
沢田研二の「勝手にしやがれ」でも。(24時間テレビで亀梨くんが歌ってたのカッコよかった)
ピンクレディっていう存在自体がそれを象徴するのかも。
そして、この小説に登場する女性達も。
弱さ、をあまり見せない。
「雨の慕情」でも、雨の情景と失恋の歌なのに「わたしのいい人連れてこい」
って、あまり弱さがない。
小狡くて賢い、でも気まぐれ、みたいな男性を振り回す強さをもった女性像。それも輸入された女性像なのかもしれないが。
百恵ちゃんの曲(絶体絶命だったりプレイバックpart2だったり)にも女性の芯の強さはあるが、
サウスポーやUFOのような小狡さ、小悪魔性には乏しい気がする。
その女性像自体が時代性なのか、
阿久悠の願望だったのかは
ちょっと分からない。
卒論概要フォーマット(だいたいのメモ)
文学研究に関する卒論概要1000words(ワード2ページ半)
1.テーマ
・扱う小説・作家の詳細な情報
→あらすじ説明
・そこから何を見るのか
→時代背景、人物像(複数扱う場合は共通する点を特に)
→どういう視点から読んでいくのか?(フェミニズム、経済、何か特定のテーマがあれば)
ex.
・山崎豊子『二つの祖国』から戦中日系アメリカ人の「孤独」を読む
・松本清張『黒地の絵』から黒人米軍と日本の「ムラ」社会の対照性を読む
・Margaret Mitchell "Gone with the Wind"から黒人ハウスワイフと南部女性の関係を読む
2.主題設定の理由
・作品を選んだ個人的でなくアカデミックな理由(面白そうとかじゃなく、研究意義)
→その作品から見られる、読むことができると思った具体的な現象や要素(時代性、他の類似作品や作家にも言及する)
→なぜそう思ったか?(先行研究にも言及し、今までとは異なるアプローチをとる、というアピールをする)
3.研究概要(ラインナップ)
・チャプターラインナップ
・それぞれ暫定的でいいのでそれぞれのチャプターの内容説明。(今までの研究を言語化して組み立てていく)